自然科学の中でも物理学は最も高度に発達した学問分野の一つといわれ, そこで用いられる方法論や概念の多くは工学や自然科学の他の分野ばかりでなく, 社会科学の分野でも利用されて広い応用範囲を持っているが, 近年では, 物理学の研究で用いられる実験設備や理論体系が高度にしかも 先鋭的に進歩したために, かってのように一人の物理学者が実験と理論の両方をこなすことが ほとんど困難な状況になっている。 現在,物理学は理論物理学と実験物理学に大別されて, 研究はそれぞれの専門家によってなされるのが普通である。
ところで近年, 「計算機物理学」あるいは「計算物理学」という言葉が 理論物理学と実験物理学に並んで市民権を得つつあることをご存知だろうか。 後に述べるように, 計算機物理学では「紙と鉛筆」だけを用いた狭い意味での理論物理学では 手に負えない計算をコンピュータを利用して行い, 従来の意味での実験設備を用いた実験物理学では達成できない実験状況を コンピュータ上に出現させることができる。 このような意味で, 計算機物理学はある面で理論物理学的であるし, 実験物理学にかなり似た面をもつ場合もあって, 従来の理論と実験という分類の枠をはみ出しているといえる。 コンピュータの誕生以来, コンピュータの発達とその物理学への応用は切っても切れない関係にあった。 従来でも上に書いた意味でのコンピュータの物理学への応用は盛んであったが, それではなぜ今更「計算機物理学」なのだろうか。 その答えはコンピュータの発達と無関係には語れない。
実験でのオンラインデータ処理や測定データの整理などへの利用を除くと, 物理学におけるコンピュータの利用は,従来, どちらかというと,理論物理学の補助的な意味合いが強かったと思われる。 しかし,最近のコンピュータの発達は著しく, 数年前には全く不可能であった計算が最新のコンピュータと 最新のアルゴリズム(計算の基礎となる考え方のこと)を利用することで 可能になったり, 現在不可能と思われている計算も数年後には(あるいは明日にも?) 可能になる場合もある。 まだ一部の分野ではあるが, 最近では計算機物理学の意味でのコンピュータの利用がかなり 実用的なレベルに達しつつあり, この傾向は更に他の分野にも急速に広がっていくことが容易に想像される。 このような状況と共に, 最近では専らコンピュータを利用して物理学の研究を行う計算機物理学の 専門家と呼べる人達が現れ始め, 計算機物理学が理論物理学と実験物理学と並ぶ第三の物理学として認知され 始めたわけである。
この講義では最近の計算機物理学の考え方と成果のほんの一端を紹介すると共に, 実習を通して計算機物理学の雰囲気を味わっていだければ幸いである。